はあ。。。来てしまった、待ちに待ったクリスマスイブだ。
クリスマス前には、なんとも言えぬ雰囲気が漂う。
ワクワク、ドロドロ、ピリピリ、ショボショボ…
(とてもこの雰囲気を全て比喩表現する気力はないので擬音で勘弁して欲しい)
子供の頃には「ワクワク」しかなかったに違いない。
クリスマスが面倒に感じるようになったのは一体いつからなんだ!?
不毛な議論を無視することができなくなったのは一体だれのせいだ!?
そんな事に今日は簡単に触れて寝るとしよう。
『不毛な議論その① 日本人にとってのクリスマス』
「クリスマスってイエス・キリストの誕生日だろ、なぜ無宗教の俺たちが騒がなきゃならないんだ!」
これは本当によく聞く不毛な議論だ。
確かにごもっともだ。
クリスマスは日本に本来存在する文化ではなく、クリスマスを祝う風習が生まれたのは明治以降であるという。
更にクリスマスを祝おうという風潮をつくりだしたのはやっぱりどこかの商売上手であり、誰もイエス・キリストの生誕を心から喜んでなどいないのだ。
しかし、街中いや国中が天皇の誕生日よりもキリストの誕生日で盛り上がる。
(それにイエス・キリストってとっくに死んでるんだぜ!死んでるんだぜ!?)
くそー、やってられないぜ!
『不毛な議論その② 経済にとってのクリスマス』
なんてことのないスーパーで、ちょっとイイカンジの包装をしただけの鶏肉が普段よりも高く売られる。
8cmほどしかないプラスチック製クリスマスツリーが光りもしないのに1,000円で売られる。
ただの炭酸ジュース(しかも明らかにコーラやファンタよりマズイ)がシャンパン風のビンに入れられとんでもない値段で売られる。
,,,もういいだろう。
これがクリスマスに行われる商売人の暴挙(と言っていいだろう)である。
なんでこんなもの買ったんだ!と、クリスマスを過ぎると頭を悩ませるひとも多いだろう。
(現に筆者がそうだ。8cmツリーを買った大馬鹿者は俺だ。)
そう、上に列挙したボッタクリの品々はなんと、誰もが驚くほどバカ売れしているのである。
いつもと違う音楽を一斉にかけ赤と緑のビビットな包装をチカチカさせ洗脳し、私のように崇高な人間からでも金を巻き上げてしまうのが恐るべきクリスマスである。
くそー、やってられないぜ!
『不毛な議論その③ 恋人がいないひとにとってのクリスマス』
そもそもなぜクリスマスに恋人がいないってだけで外出を制限されなければならないんだ!
クリスマスだって年末だ、ひとりで買い物に行ったっていいじゃないか!
なんで俺はこんなに寂しい思いをしなければならないんだ!
本場西洋では恋人どうしでなくとも家族みんなでも祝うイベントだそうじゃないか!
家族みんなでKFCと不二家のケーキを囲い、シャンメリーを飲んで何が悪い!
家に篭って2chして何が悪い!
その通りだ、何も悪くない。
しかし残念なことにこの日本には被災者をみんなで支えようという素晴らしい意識はあっても、恋人がいない人同士助けあおうという意識は皆無だ。
なぜ恋人がいないだけでこんなに寂しい思いをしなければならないのだろう、、、。
くそー、やってられないぜ!
どうだろう。
これがクリスマスという世界である。
非情だ、あまりにも酷すぎる...
こんなイベント、なくなってしまえばいいのに!!
...本当にそうだろうか。
クリスマスって本当に無駄の多い宗教行事なのだろうか、商売道具だけなのだろうか、恋人同士のみがたのしめるイベントなのだろうか…
改めてよく考えてみると、クリスマスに嫌なことって本当に数えるほどである。
『不毛な議論その①について』
日本人が国中お祭り気分になるのはクリスマスとお正月くらいだ。
しかしお正月は日本古来の風習であるため地域や家系によってお祝いの伝統が異なる場合が多く、またそれらはたいていある程度の尊厳を持っているため簡単に崩れることがない。
つまりお正月はお祝いムードではあるものの、若干気むずかしい一面を持ち合わせているのである。
初売りなんかもあるが、それによって伝統が崩れるということはないだろう。
対してクリスマスは西洋由来で、つまり輸入文化であり、さらにキリストなんて全く知りもしないとっくに逝ったおっさんの誕生日をイルミネーションを見ながらチキンを食って祝うなんていう訳の分からないスタイルのお祭りなのだから、これは流行るに決まっている。
お正月のもつ気むずかしい一面がなく、自由に自分たちのスタイルで好きなものを食べてすきなオモチャを買い好きな場所で祝うことが出来る。
つまり変な伝統に縛られず自由な形で国中が盛り上がれる唯一のイベントがクリスマスなのである。
これはいいんじゃないか。
『不毛な議論その②について』
一斉に同じようなメロディーの音楽をかける。
商品は赤と緑で包装し、時々金色を散りばめる。
メリークリスマスというステッカーを貼る。
これだけでチキンがいつもの10倍売れる。
これは驚くべき経済効果だ。
アベノミクスもひれ伏すほどの恐るべき金の流れ。
なぜならプラスチック製のモールがぐるぐる巻かれただけの小さなクリスマスツリーが1000円で売れてしまうのだから。
優秀な人材を集め高度な教育をし、知識の結晶として作り上げられた半導体ウェハよりもよっぽどいい利率かつ驚くほど低い生産コストだ。
しかも毎年この時期は来るのだから、一度に大量生産してしまえば来年も再来年も売り飛ばすことが出来る。
素晴らしい。
ただクリスマスだというだけで、いつもの何十倍も金が世に流れ出るのである。
さらに原因が物体依存ではないため、クリスマスなら売れるという定式は崩れることがないし安定的に経済効果が高い時期といって過言ではない。
これはいいんじゃないか。
『不毛な議論その③について』
これだ。
クリスマスを嫌味嫌う最も大きな理由はこれだ。
本当のところ、誰しも心のなかではそれが持つイベントとしての性能の高さや経済効果の高さは認めているのだ。
しかし恋人がおらず寂しいという気持ちを隠さなければならないゆえに上記2つの理由を簡単に認めるわけにはいかないのだ。
「ああ!恋人さえいれば!」
…と、男も女も思っている。
と、男も女も思っている。
どうだろう、うまく使えそうだとは思わないだろうか。
国中が盛り上がれる唯一のイベントがクリスマス
と言った。
これはつまり言い換えると、男と女も盛り上がりたいとみんなが思う日、ということだ。
なんだかよくわからないオッサンが2000年も前に生まれて勝手に死んでくれただけで、男と女が同時に盛り上がりたいと感じる奇跡的タイミングをなんとクリスマスというたった1日に集約してくれたのである!
すばらしい!
男は女をゲットする絶好のタイミングであり、しかもその成功率は他と比べ圧倒的に大きいだろう。
(事実俺もクリスマスだけは誰かと過ごせている)
これはいいんじゃないか。
クリスマスが面倒に感じるようになったのは一体いつからなんだ!?
この疑問に明確な答えはなさそうだ。
サンタにプレゼントをもらえなくなってしまったから、つまり大人になってしまったから面倒になったのかもしれないし、大人になって恋人が必要になってしまったから面倒になったのかもしれない。
でもよく考えてみると、クリスマスというのは本当に上手く出来ているのである。
そしてとくに、大人にとってよくできた行事なのである。
不毛な議論を無視することができなくなったのは一体だれのせいだ!?
こいつには明確な答えがありそうだ。
こんなにも数多くの不毛な事件を世に引き起こした人間はこれまでにも、そしてこれからもコイツしかありえないだろう。
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