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ゴリモチオのチオ

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中学生による芸術作品の破壊とその後

新潟県十日町市の「越後妻有里山現代美術館MonET(モネ)」で4月、修学旅行中だった新潟市立中学3年の複数の生徒が展示作品2点を壊していたことがわかった。同月終わりに開幕した「越後妻有 大地の芸術祭」に出展予定だったが、1点は修復できず急きょ非公開とされた。実行委員の十日町市側から被害届を受け、県警が器物損壊容疑で捜査を進めている。
(「修学旅行中の中学生が美術館の作品壊す 1つは修復不可、警察が捜査」朝日デジタル 6月7日 https://digital.asahi.com/articles/ASQ667S4GQ66UOHB00F.html)

ふだん中学生と関りがあるラジオパーソナリティ、チオにとってこの事件は衝撃的だった。
特に学年主任として、所謂”超えられてはいけない壁”を演じている自分にとってはなおのことだ。
もし自分が主任を務めている学年の生徒がこのような事件を起こしてしまったら。そこには管理責任がある。
しかし、そのような思考回路に至ってしまうこと果たして自分は欲していたのだろうかと、もう一度原点に立ち直ることができる機会が訪れた。
それはやはり、芸術の力によるものだった。
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ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN #82

ジェーン・スーと堀井美香さんのTBSポッドキャスト『OVER THE SUN』
第82回「私を傷付けらる人など、どこにもいない」に投稿された一通のお悩み相談メール。

3種類のランクの人(管理職・正社員・パート社員)の人が働く会社で、パート社員として15年間働いているリスナー。
15年もやっていると様々なことに気が付くようになる。
改善できる部分を管理職や正社員に伝えるようにしている。
しかし管理職、正社員は問題を放置しがち。
ある日管理職から呼ばれたリスナーは、こんなことを言われる。
「あなたのやっていることは、職位が下の人から職位の上の人に対してのパワハラになるので改善してください」
なぜおかしいことをおかしいと言っているだけで、パワハラと言われなければならないのか。
悔しいです。
仕事に対しての意見を受け入れない人、仕事をしない人に対して、きつく言わずに手を抜かず折り合いをつけるためにはどうしたらいいでしょうか?

ジェーン・スーさんのアンサーはこうだった。
気持ちはよくわかるけど、と前置きしたうえで…

近況報告③『初異動。そして学年主任…』

教員生活も早5年が経ち、6年目に突入しようとしている。
この間、様々なことがあった。
(誰も見ていないだろうが)特定を避けるため詳しくは書かないが、本当に悲惨な学校であった。
教育理念がなかなかアップデートされず、ベテランと若手教員の乖離は民主主義を担えるレベルを超えていた。だからと言って丁稚奉公のように文化や信念が引き継がれる土壌があるわけではない。それらは官僚制にすでに殺されており、教員は無思考になるようにできていた。職務軽減の流れはコロナで加速し、生きた教育活動のための再編が来ると思われたが、それもやはり無思考的官僚制を前に潰れてしまった。部活動改革やICT参入はそのポテンシャルを発揮することなく、教員にさらなる乖離のみをもたらした。結局、優秀な教師は皆出ていくことで殺され、後任のリーダーは機械となって死んでいった。チームワークとは程遠い学校だった。
子どもたちには申し訳ない思いでいっぱいだ。しかし『カッコーの巣の上で』のマクマーフィと同じで、この学校では考えても「死ぬ」し、考えなくても「死ぬ」のだ。私も異動を希望した。

新しい学校にて校長と面談をすると、学年主任をという話になった。
まさかこんなにも早く死期が近づくとは思ってもいなかった(笑)
深刻な教員不足、そしてそこから生じる教員の質の低下(自分を含めて)を感じざるを得ず、恐怖している。
大丈夫か、次の地域。俺は文化を壊しかねないぞ。
しかし、これはいいチャンスだと捉えて「勢い」で引き受けた(「勢い」は人生のキーワードだ)。

大阪市立大学の辻野けんま先生は大学の教師のスタンダード策定会議にて、日本の教師の専門性スタンダードとして以下を提唱したことがあるらしい。
1.休む力 2.私生活を大事にする力 3.職責を専門的に果たす力
3秒で却下されたというが、私はこれを実現できるような学年・学校にしていきたいと思っている。

そしてもう一つ。
どこに行っても、どんな立場になっても、「あなた個人を大切に思っている」という態度を忘れないようにしたい。
これは自分の体裁を守るためのポーズとしてではなく、真の意味での話だ。
もちろんここには家族も含まれる。

大変な1年になりそうだ。



ロシアのウクライナ侵攻

哲学者の東浩紀は、
娘が2005年に生まれたこともあり、2000年代の末からコロナが来る直前まで、毎年1-2回は家族で海外旅行に行っていた。最後はアイスランド。たいていの国に子供連れで安全に行けた。もうあんな時代は長く戻ってこないかもしれない。行っておいてほんとうによかった。そして娘が生きる時代を憂う。
とTwitterに投稿した。
これから息子の誕生を控えている自分にとっても、このウクライナ侵攻は非常に大きな意味を持つ。

このウクライナ侵攻において私が最も危機感を覚える点は、西側諸国における不信感の蔓延が引き起こす急激な保守言論の台頭、そしてその陰に潜む全体主義である。
メディアによる過激な報道には、強い言説が団結力を持ってしまう側面がある。「今こそ対話を」と呼びかけるその姿勢のなかに、思考停止がひそんでいやしないだろうか。わたしも含めて、このようなショッキングな出来事があるとすぐに正解を見つけようとしてしまうものである。事実、現状において経済制裁のみでしか対抗姿勢をとることができない西側諸国中には、すでに極右政党が力を伸ばしている国がある。オランダのみならず、ラ・マルセイエーズを国歌とする民主国家においてでさえ。
絶対に忘れてはならないのは、ヒトラーはこうした民主主義下において生み出されたものであるということである。危機的な状況において、民主主義が冷静さを失うことは実験的に証明済みなのだ。絶対悪を設定することは容易である。もちろん今回のウクライナ侵攻は、その周到な計画のもと実行したロシアに批判が集中されるべきものである。しかし、それを絶対悪としてウクライナ侵攻をEU諸国ひいては西側諸国の視点により一方的に捉え始めたとき、民主主義の失敗が繰り返されることとなる。

私の尊敬してやまない物理学者に、リチャード・ファインマンがいる。彼の自然科学を愛する態度に心を打たれる者は多いが、彼はマンハッタン計画に参加した立派な戦争加担者でもあるのだ。そのファインマンは戦後、自伝にてこう述べている。戦時中、彼が陸軍で働くか、ベル研究所で働くかの選択を迫られた際のことである。
「これこそ僕が祖国に貢献する絶好のチャンスだ」とばかり、陸軍で働くことを申し出た。ベル研究所に、その夏は陸軍で働くことを許してほしいと願い出たところ、そんなに軍の仕事がやりたいのなら、こっちにも戦争のための仕事がいくらでもあるから、それをやればいいではないかと言ってくれた。しかしすっかり愛国心にかられていたおかげで、僕はこのときほんとうに惜しい機会を逸することになってしまった。今考えれば、ベル研究所で働くほうがずっと賢明だったわけだが、あのような時勢には誰しも少し頭がおかしくなるものなのだ
日本が大戦に向かっていった背景にも、こうした狂気的な思考停止があった。北京パラリンピック閉幕後、中国は遅かれ早かれ台湾の併合に着手するだろう。その不安は、日本全土をも巻き込んでゆくことになる。そこで生じる言説には常に最新の注意を払わなければならず、思考を繰り返さなければならない。
ウクライナ問題を捉えるうえで重要なのは、ソ連勃興とウクライナ地域における支配関係の歴史学である。そこには密接に、西側諸国の搾取の歴史も見て取れる。日本も今後、中国との外交衝突は避けては通れないだろう。そうなった際、強い言説に扇動され無思考な決断を下してしまってはならない。このウクライナ侵攻の経験から、わらしたちも”少し頭がおかしくなる”前に、歴史を振り返り、多角的な視点を確保しておく必要があると強く思う次第である。

近況報告②『教育実習から早8年』

前回アップロードしたのが2014年なので、もう8年も前のこと。
だいぶ大人になってしまいました。
ちょっとしたタイムトラベルをしている気分。

教師になる選択をしてからの行動は非常に早かった。
理系単科大学から教育系大学院に進学し、教員採用試験にストレートでパスし、春からは2校目を経験することになる。
初めての卒業生を出してもう1年が経過するのだ。

いやあ、時が経つのは早いねえ。

あれからずっと教育に対して熱心に突っ走ってきたのだが、ここに来て一度立ち止まって考えるための時間というか場所というかが必要になってきた。
そこで今年は、思考の整理の場としてもブログを活用したいと思っている。
Facebookはレスポンスがあるが、少々なれ合いの雰囲気があるし、ビジネス臭が強すぎる。
それゆえに自分の思ったことを正直に表現できない節がある。
日記も手段としてはベターだが、公開前提でないので文章の推敲は起きないし、思考の鍛錬の場とは言い難く、どちらかというと記録の側面が強い。
鍛錬の場という意味でのアウトプットスペースは、良い味でも悪い意味でもFacebookが向いているのかもしれないが、いきなりそこに文章を投下する自信はない。
だから、練習の場としてのブログ、なのである。
きっと8年前も同じような思考回路でブログを更新していたに違いない。
あとは、単純に文章がうまくなりたい。
そして、継続したい。

継続にはテーマが必要だと、8年経ってようやく気が付いた。
自分が語りは、つらいのだ。
表現したいものはいくらでもあるが、解像度高く表現する力が圧倒的に不足している。
アウトラインすら書き起こせないという有様だ。
究極の文章を書くには、まだ早いということだ。

ということで、テーマを決めて、自分のオピニオンを書くことにしようと思う。
身の回りで起きる事件や新聞の記事に対して、考えたことをうまくまとめていきたい。
教育現場では日々、グレーな問題が生じている。
それをできるだけ解像度高く、意見する。
そしてそのセンシティブさを失わないためにも、ちょっと立ち止まるためにも、ブログを活用したい。
あとは時間をつくること、だな。

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