新潟県十日町市の「越後妻有里山現代美術館MonET(モネ)」で4月、修学旅行中だった新潟市立中学3年の複数の生徒が展示作品2点を壊していたことがわかった。同月終わりに開幕した「越後妻有 大地の芸術祭」に出展予定だったが、1点は修復できず急きょ非公開とされた。実行委員の十日町市側から被害届を受け、県警が器物損壊容疑で捜査を進めている。
(「修学旅行中の中学生が美術館の作品壊す 1つは修復不可、警察が捜査」朝日デジタル 6月7日 https://digital.asahi.com/articles/ASQ667S4GQ66UOHB00F.html)
そして、環境にではなく、個人の側に責任が帰属されるとき、そこでしばしば「能力」という概念が用いられる―――今あなたが苦しいのは、あなたが適切な「能力」をもっていないからであり社会のせいにするな、というように。
つまり、「能力」という概念は、責任をめぐる問題解決の方法の1つであるといえる。しかし、それはあくまで方法の1つでしかない。なぜなら、責任を個人に帰属できるとき、同時にそれは環境にも帰属しうるからだ。因果連鎖がさまざまに延長・細分化できるように、責任の宛先は、個人と環境という2つが常にセットで私たちに用意されており、それらは責任の所在を確定するという意味では同じ機能を持つ。そのどちらを選ぶのかは、社会のあり方や個人の決定に委ねられているのである。
『現代社会論』Chapter2 「能力」より (太字は筆者による)
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