「何でやりたくないことを継続することは惰性でできて、やりたいことを継続することは惰性でできないんでしょうか」本書は、継続というものの捉え方を軽いものにしてくれて、継続することで「良いものをつくらないと」という呪縛から現象を解放してくれる。
そして、環境にではなく、個人の側に責任が帰属されるとき、そこでしばしば「能力」という概念が用いられる―――今あなたが苦しいのは、あなたが適切な「能力」をもっていないからであり社会のせいにするな、というように。
つまり、「能力」という概念は、責任をめぐる問題解決の方法の1つであるといえる。しかし、それはあくまで方法の1つでしかない。なぜなら、責任を個人に帰属できるとき、同時にそれは環境にも帰属しうるからだ。因果連鎖がさまざまに延長・細分化できるように、責任の宛先は、個人と環境という2つが常にセットで私たちに用意されており、それらは責任の所在を確定するという意味では同じ機能を持つ。そのどちらを選ぶのかは、社会のあり方や個人の決定に委ねられているのである。
『現代社会論』Chapter2 「能力」より (太字は筆者による)
物理的現象と生理的過程との両者 含む色覚に関し関連していろいろと面白い現象があるが、われわれがものをみるという自然現象を完全に理解するには、ふつうの意味における物理学の範囲を越えなければならない。このようにほかの分野に足をふみ入れることについて、とくに言いわけをするつもりはない。分野の区別などというのは、これまでも強調してきたように、単に人間の都合にすぎず、不自然なことだからである。自然はこの分離に関心をもたない。興味ある現象にはいくつかの分野に跨るものが多いのである。
ファインマン物理学Ⅱ 第10章 色覚 より
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