そして、環境にではなく、個人の側に責任が帰属されるとき、そこでしばしば「能力」という概念が用いられる―――今あなたが苦しいのは、あなたが適切な「能力」をもっていないからであり社会のせいにするな、というように。
つまり、「能力」という概念は、責任をめぐる問題解決の方法の1つであるといえる。しかし、それはあくまで方法の1つでしかない。なぜなら、責任を個人に帰属できるとき、同時にそれは環境にも帰属しうるからだ。因果連鎖がさまざまに延長・細分化できるように、責任の宛先は、個人と環境という2つが常にセットで私たちに用意されており、それらは責任の所在を確定するという意味では同じ機能を持つ。そのどちらを選ぶのかは、社会のあり方や個人の決定に委ねられているのである。
『現代社会論』Chapter2 「能力」より (太字は筆者による)
娘が2005年に生まれたこともあり、2000年代の末からコロナが来る直前まで、毎年1-2回は家族で海外旅行に行っていた。最後はアイスランド。たいていの国に子供連れで安全に行けた。もうあんな時代は長く戻ってこないかもしれない。行っておいてほんとうによかった。そして娘が生きる時代を憂う。とTwitterに投稿した。
「これこそ僕が祖国に貢献する絶好のチャンスだ」とばかり、陸軍で働くことを申し出た。ベル研究所に、その夏は陸軍で働くことを許してほしいと願い出たところ、そんなに軍の仕事がやりたいのなら、こっちにも戦争のための仕事がいくらでもあるから、それをやればいいではないかと言ってくれた。しかしすっかり愛国心にかられていたおかげで、僕はこのときほんとうに惜しい機会を逸することになってしまった。今考えれば、ベル研究所で働くほうがずっと賢明だったわけだが、あのような時勢には誰しも少し頭がおかしくなるものなのだ日本が大戦に向かっていった背景にも、こうした狂気的な思考停止があった。北京パラリンピック閉幕後、中国は遅かれ早かれ台湾の併合に着手するだろう。その不安は、日本全土をも巻き込んでゆくことになる。そこで生じる言説には常に最新の注意を払わなければならず、思考を繰り返さなければならない。
プロフィール
最新記事